入った高校は、どうでも、いいんだけど、今は、多分、そうとう開けて、全く違うんだろうが、兎に角、当時は、田んぼand畑だらけの小田急線のひなびた街に、私の下宿は、あった。3畳一間で、賄い付きで、13000円という破格だ。風呂は、銭湯に通う。全ては、 I 5の私には、冒険だった。親父が、何故か手配した、オンボロ下宿だ。仕送りとして、毎月四万が、現金書留で、送られて来る。

40,000− I3000=27000

小田急➕JRの定期が、学割で、3000円位だった。

残りは24000

銭湯は、 I日おきで、今は、嘘だろの4 0円だったと思う、、

だから、6 0 0円

23 4 0 0円 今と違い、消費税がない。

学食なんちゅうものも、あって、 I50✖️25で

375 0円

23 4 0 0−3 75 0= I 965 0円余る計算だ。

飲まず食わずで、オヤツもジュースも、漫画も買わずに、 I5の子供が、乗り継ぎ駅の新宿もウロウロせず、服も買わず、品行方正に、勉学だけ、励めばね。な、訳ないよー。

千葉の田舎から、出てきた I 5には、スンゴイ刺激だらけで、正に、泉谷しげるの眠れない夜なんだ、これが、、

 

ちょっと、、休憩。